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東京高等裁判所 昭和51年(行コ)74号 判決

控訴人 株式会社久保商店

被控訴人 四谷税務署長 島尻寛光 鳥居康弘 ほか二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は「原判決主文第二項を取り消す。被控訴人が昭和四五年四月一五日控訴人に対してした昭和四一年ないし昭和四四年の、原判決別表記載の各従業員に支払つた給与(賞与)につき各所得税を源泉徴収の上納付すべき旨の告知処分及び各不納付加算税賦課決定を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人指定代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実に関する主張及び証拠関係は、次に附加、訂正するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。但し、「原告」とあるのを「控訴人」と、「被告」とあるのを「被控訴人」と読み替えるものとする。

一  控訴人の主張について

原判決七枚目表八行目終りの次に次のとおり附加する。

「なお控訴人の就業規則は五五才を定年と定めているが、これは五五才以後は五年毎の退職金の支給をしないことを定めただけで、被控訴人のいうように五五才までの雇用関係の継続を保障したものではない。また被控訴人は、控訴人が中小企業等退職金共済制度に加入しているのに、控訴人の従業員は五年の勤続期間を経過した時点において中小企業事業団に右制度に基づく退職金の請求をしていないことを挙げて勤務の継続を主張するが、控訴人の従業貴が右の時点で右退職金を請求するが、これをしないで勤続年数を通算する方法をとるかは各従業員の自由に選択するところであつて、使用者である控訴人の与り知るところではなく、右の点は本件金員の退職金たる性質になんらの影響を及ぼすものではない。」

同八行目「2」とある部分から同裏九行目「該当する。」までを次のとおり訂正する。

「2 元来退職金は終身雇用を基本とするわが国独得の制度で、一定期間継続して勤務したことに対する功労金、賃金後払い、退職後の生活保障等の性質を併有しており、一律にいかなるものと規定することのできないものであるが、この制度も社会経済情勢の変化に伴つてその支給形態に変動を生ずるにいたつた。勤務関係自体の断絶がないにもかかわらず、その中途において一定の事由が生じた場合にそれまでの勤務期間に基づいて計出された退職金額を支給し、ただしその後の勤務に対する退職金については右の期間を通算しないといういわゆる退職金の打切り支給がそれであり、本件で問題とされている退職金支給方式もその一形態である。前述のように、中小企業の労働者は倒産による退職金不支給の不安から、将来まとまつた退職金の全額を貰うという不確かな期待よりも、額は少なくても今日の確実な支給を受けることを強く希望し、他方企業者側も将来営業の縮小、停止等のため一時に多額の従業員を離職きせる場合に生ずべき過大な支出の必要という経理上の負担を予め軽減しておくことを得策と考え、労使双方の利益の合致から期せずして一種の退職金の打切り支払の方式が案出されるようになつたもので、それはいわばこれら関係者の「生活の知恵」ともいうべきものである。

このような事態を反映して税務行政上も退職金の打切り支給につきこれを退職所得として取り扱わざるをえなくなつており、国税庁の所得税基本通達(昭和四五年七月一日)では、従業員が定年後引続き勤務する場合でも、その定年に達する前の勤務期間にかかる退職手当として支払われる給与で、その後に支払われる退職手当の計算上その給与の計算の基礎となつた勤務期間を一切考慮しないこととされているものについては退職所得として取り扱うべきものとし、また同じく昭和四九年九月三〇日の改正法人税通達によれば、退職金を打切り支給した場合において、その支給をしたことにつき相当の理由があり、かつ、その後は既往の在職年数を加味しないこととしているときは、それを退職給与として取り扱う旨定めている。

これらの通達からも明らかなように、今日においてはもはや退職による従業員たる身分の現実の喪失は支給金員が退職所得に該当するための絶対的要件ではなく、いわゆる退職金の打切り支給の場合にも、それが社会的合理性を有する理由に基づいてなされるものである限り退職所得として取り扱わるべきものである。そして本件給与規定による五年毎の退職金の支給の理由が前述のように社会的合理性を有する理由に基づくものであり、かつ、右支給については勤務期間の非通算を条件とすることを定めていることに徴するときは、本件金員は前記通達にもいう相当な理由による退職金の打切り支給に該当するものであり、法三〇条一項にいう退職所得として取り扱わるべきものといわなければならない。」

同七枚目表一〇行目「原告従業負」から同八枚目表一行目終りまでの部分を次のとおり訂正する。

「通常全勤続期間を通算し計算した退職金については特別の控除、低税率を定めた法三〇条、二〇一条の適用による利益を受けることができるものであるところ、控訴人の給与規程により五年毎に退職金を受領した場合、これを被控訴人のように退職金として取扱わず給与所得として課税すると、最終の五年未満の期間を基礎とした退職金だけが右法条の適用を受けるだけで、その余の従前すでに取得した分については、実質上退職金でありながらすべて右法条の適用による利益に浴することがなくなるのみならず、かえつて賞与として所得に上積みされ、高率の税額を負担するという極めて不合理な結果になるのであり、かかる解釈運用の不合理性は明らかである。」

同八枚目表二行目「4」の次に「(一)」を附加し、の次は次のとおり附加する。

「(二)被控訴人係官は昭和四一年ころ控訴人に対し、法人税の関係で本件金員の処理方法につき資産勘定欄の仮払金として処理するよう行政指導したので、控訴人がこれに従つて処理したところ、被控訴人は昭和四三年六月控訴人に対しその性質は従業員に対する貸金であるから利息金を収入に計上すべきであるとして更正処分をしたので、控訴人は東京国税局に不服申立をし、その結果右更正処分が取り消された。すると、被控訴人はその後右金員が本来の意味の退職金ではなく、賞与であるとその見解を変更し、本件処分をするにいたつたのである。このような恣意的見解の変更による処分は公権の濫用であるとの非難を免れない。」

二  被控訴人の主張について

原判決四枚目表末行目「もので」の次に「あり(所得税法三〇条一項)、退職とは従業員について事業主と雇用関係が終了すること(中小企業退職金共済法二条二項)で」を、同九枚目裏末行目「いること」の次に「本件金員の支払を受けた従業員は中小企業退職金共済制度の契約をしているので、その事業団に対し退職金の請求ができるのにその請求をした者が全くないこと、就業規則では定年を五五歳と定めそれまで従業員の身分を保障していることなど」を、同一二枚目表二行目の終りに行を代えて「なお、控訴人は会社の業態悪化による退職金不支給のおそれ等を回避するための必要性を強調するが、かかる目的のためには、別に中小企業退職金共済制度の利用のほか退職金積立などの方法があり、国はこれに対し給付補助の援助をし、事業主の所得計算上も支出時の必要経費又は損金算入を認めており(所得税法施行令七〇条二項、法人税法施行令一三五条)、また受給者については現実に支給を受けるまではこれに課税しない取扱いとなつているのであつて、控訴人の主張は根拠のないものである。」を各附加し、同三行目「したがつて」を「更にまた控訴人は本件金員を退職金として取り扱わない場合の不合理性を云々するが、もともと」と訂正し、同七行目「やむをえない。」の次に「(なお、この場合においても、現実の退職に基因して支払われる退職金については、退職所得控除額の基礎となるその受給者の勤続年数は、控訴人の給与規定による五年毎の手当金の支給にかかわらず、当初入社の日から現実に退職するまでの全勤続年数によつて計算される取扱いとなつている。)のみならず、もし、控訴人の給与規程による手当金を退職金とすると、かえつて本来給与所得であるものを給与規程の改正で容易に退職金に転換することができ、不当に租税を免れる結果になるのである。」を、同一三枚目表一行目終りの次に行を代えて「なお、被控訴人が当初本件金員を法人税に関する経理上仮払金として処理すべき旨行政指導したのは、当時未だ本件金員の性質が明らかではなかつたため、それが明確になるまでの暫定的措置としてそのような指導をしたものにすぎず、その後控訴人が引続き退職金名義金員をその支出時に仮払金として計上し、現実に退職した時にその後の勤務期間に対応する部分の退職金を支給するとともに仮払金中当該従業員に関する部分を損金として退職金に振替計上するという経理処理をしていたので、右仮払金を貸金の性質を有するものとみて法人税の更正処分をしたのであるが、その後右更正処分が取り消されたのら控訴人において従来仮払金として計上していた退職金名義金員を損金として退職金勘定に振替計上するようになつたので、被控訴人はそれ以降所得税法上は右退職金名義金員を支出時における従業員の給与所得と、法人税上は同じく支出時の損金と認めて各更正処分をしたのであり、その間に行政権行使の濫用と目すべき事由は存しない。」を各附加する。

証拠として、控訴人訴訟代理人は〈証拠省略〉を提出し、被控訴人指定代理人は右〈証拠省略〉の各原本の存在と成立を認めた。

理由

一  控訴人が昭和四五年四月一五日付で控訴人に対し、本件金員が給与所得(賞与)にあたるとして、原判決添付別表記載の各従業員の各時点の所得から同記載の所得税額(給与であるとした場合の税額が右額になることを含む。)を徴収し納付すべき旨の告知処分、各不納付加算税賦課決定をしたことは当事者間に争いがない。

二  控訴人は、本件金員は所得税法(以下単に「法」というときはこれを指す。)上の退職所得にあたり、これについては被控訴人に源泉徴収義務が存在しないものであるところ、被控訴人が右のようにこれを給与所得(賞与)であると認定し、給与所得に課税される税額を右所得から源泉徴収して納付すべき旨の処分をしたのは違法であると主張するので、まずこの点について判断する。

1  〈証拠省略〉の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  昭和四〇年ころ中小企業が営業停止をし従業員を退職金を支払わずに解雇する事例が相次いで起つたため、控訴人の従業員労働組合は同年一二月ころ控訴人に対し、控訴人がいつ営業停止し従業員解雇になるかもしれず、その際退職金も支払わないのでは労働意欲も湧かないので、三年の期間毎に退職金に相当する金員を支払つて欲しい旨の申込をした。これに対し控訴人は、当時の経営状態から経営が危機に瀕することもあらえる上その時に、時に多額の退職金を支払う財源に乏しい状態であつたため、右申込に基づいて検討した結果、そのころ控訴人が設立後五年未満であつたため遡及支払手続を要しない五年間で勤務期間を区切り、就職後五年毎に退職金名義で手当を支給し、営業停止による解雇の場合の退職金支払を実質上前払の形で保障し、合せて、控訴人の営業停止の際の退職金支払に要する経理上の負担を軽減することとした。そして控訴人は、そのころ給与規定を右趣旨に改正し、労働組合の同意をえた上、労働基準監督署にもその届出をした。

(2)  右改正給与規程は、一五条で「退職金は左の場合に支給する。(省略)四、勤務年数が会社設立後又は本人の就職後満五か年、爾後満五か年を加算した時期が到来した場合」と規定し、一六条で退職金の財源確保として中小企業退職金共済制度による掛金をすることとするほか、退職金の算定について定め、一七条で「第一五条第四項(第四号の誤り。以下同じ。)により退職金を支給した場合は従来の在職年数は打切り既往の在職年数は在職年数には算入しないものとする。第一五条第四項の場合は第一六条に規定する中小企業退職金共済制度による退職金は支給せず、爾後に継続するものとする。」と規定しており、昭和四二年八月に改訂された給与規程にも各同旨規定が存する。しかし、他方同時に改訂された就業規則自体においては、従業員として身分を失う事項を定めた一七条の規定中には右給与規程により五年毎に退職金名義の手当を受領した際にその身分を失う旨の定めはなくまた同一八条では「従業員の停年は満五五歳とする。」旨定め、定年までの従業員の身分を保障している。

(3)  本件金員は、控訴人が従業員に対し、右給与規定に基づく五年毎の期間の退職金であるとの名目で支払つたものである。

そして、右各従業員は、右退職金支払の関係では退職扱いとされ、また、法二 三条による退職所得申告もなされた。しかし、右五年の期間経過により手当の支給を受けた者は、その機会に自らの意思によつて退職する者を除いては、改めて再入社のために一般の入社の場合における所要の手続等を経ることもなく当然のこととして従来のままの就労を継続し、賃金その他の労働条件も従前のそれと全く変ることがなく(控訴人は中小企業退職金共済制度に加入しているが、従業員に対しては就職後満一年を経過した後に右掛金に見合う一、〇〇〇円を給料として支給し、これを控訴人において中小企業退職金共済事業団に払い込むこととしているのに、前記満五年を経過した従業員については初年度から右掛金を払い込んでいる。)、ただ未使用有給休暇日数の次年度繰越が打ち切られるにとどまつていた(なお、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、五年の勤務期間を経過した者の経過後初年度の有給休暇日数は六日に減ぜられるとのことであるが、他方就業規則三〇条によれば、新たに入社した者については入社年度は年次有給休暇が与えられないものとされている。)。なお、各従業員とも勤続期間五年を経過したときに前記退職金名義の金員を受けとるが、中小企業退職企共済制度による退職金の受給申請を

した者はなく、この関係では従前の勤務期間は通算するものとして取り扱われている。

以上のとおり認められ、これを動かすに足りる証拠はない。

2(一)所得税法上退職手当とは、「退職により一時に受ける給り及びこれらの性質を有する給与に係る所得をいう(三〇条一項)ものとされ、右の退職所得に対する所得税については、通常の給与所得に比較して控除額が多く(同条二項以下)、税率も軽減されている(二〇一条)。所得税法が退職所得につき右のような所得税上の特別の優遇措置を認めた理由は、退職手当等退職を原因として支給される一時金は、一般に、その内容において退職者が長期間特定の事業所等において勤務してきたことに対する報賞及び右期間中の就労に対する対価の一部分の累積たる性質をもつとともに、その機能において受給者の退職後の生活を保障しようとするものであるところから、このように過去における勤労の代償を一時に取得し、かつ、退職後の生活保障の趣旨をもつ所得に対して課税上通常の給与所得と同一に取り扱い、一時に高額の所得税を課することは、公正を欠き、かつ、社会政策的にも妥当ではない結果を生ずることを考慮し、これを避けるためであると考えられる。それ故右規定における「退職により一時に受ける給与」に該当するためには、まず第一に当該給与が従来の給与所得の源泉をなした勤務関係の終止によつてはじめて生ずる給付であること、第二にその給付が従来の多かれ少なかれ長期間の勤務に対する報賞ないしは従来の労務の対価の一部後払いたる性質を有すること、第三にそれが勤務関係終止の際に一時に支払われること(前記第一及び第二の要件をみたしても、例えば年金のようにその後継続して定期に支払われるものは所得税法上は一般の給与所得として扱われる。)以上三つの要件を具備することを要するものというべく、他方右規定にいう「これらの性質を有する給与」とは、形式上は右の三つの要件のいずれかを欠くようにみえる給与であつても、その実質において右要件の要求するところに適合し、課税上右「退職により一時に受ける給与」と同一に取り扱うことを相当とするものを指すものと解するのが相当である。そしてその反面において、形式上は右の三つの要件を充足するようにみえても、その実質においてこれに適合しないものは右規定にいう「退職所得」にあたるものとすることはできないのであり、このことは所得の法律上の形式を超えてその実質に着目するいわゆる実質主義の立場に立つ税法の解釈適用上からも当然であるとしなければならない。

(二)  右の解釈に立つて本件の場合をみるのに、さきに述べたように、本件金員は控訴人がその給与規定に基づき五年の勤務期間を経過した者に対し、その時点においてその従業員がいつたん退職したものとして退職金としてこれを支給するものであるから、法形式上は一見上記三つの要件を充足するようにみえないではない。しかしながら、前記認定事実によると、控訴人の従業員は、右のように勤務期間五年を経過した時点においていつたん控訴人な退職したものとして退職金名義の金員の支給を受けるが、実際にはこれによつて従来の雇用関係が終止するわけではなく、格別の行為、手続を経ることもなくそのままほとんど従前と同一の労働条件の下に就労を継続しており、退職金の計算上の勤務期間の五年毎の打切り、未使用有給休暇の次年度繰越の否定等雇用関係の継続、廃止の問題とは本質的関係をもたない部分においてのみ通常の雇用関係継続の場合と異なる取扱がなされているにすぎないことが認められる。してみると、他にかかる雇用関係が実質的に終了したことを認めしめるに足りる証拠のない本件においては、五年の勤続期間の経過により控訴人からその時点において退職したものとして退職金を受けとる従業員は、実質的には退職したものではなく、依然として控訴人との雇用関係を継続しているものといわざるをえないから、右の退職金なるものは、前記「退職により一時に受ける給与」についての第一の要件を欠き、これに該当しないものといわなければならない。

(三)  控訴人は更に、仮に本件の場合に雇用関係が継続し、「退職」の事実が肯定されないとしても、かかる身分関係の断絶がないにもかかわらず退職金を支給すべき社会的必要からいわゆる退職金の打切り支給なる方式によつてこれを支給する事態が生じており、国税庁もかかる社会的実態を無視することができず、所得税等に関する通達においてかかる退職金の打切り支給の場合をもなお退職所得である退職手当等として取り扱うものとしているのであつて、本件金員の支給もまたかかる社会的必要に基づく合理性、相当性を有する退職金の打切り支給の場合に該当するから、右にいう退職手当等として取り扱われるべきものであると主張する。

(1) 控訴人の挙示援用する国税庁の通達は、下級行政庁に対して租税法規についての解釈を示し、その運用について指示を与えたものにすぎず、国民及び裁判所を拘束すべき法規範たる性質を有するものではないが、租税法規の解釈適用についての重要な資料であることな失わないから、まず右通達について検討するのに、昭和四五年七月一日の所得税基本通達三〇一二〈証拠省略〉によれば、「引き続き勤務する役員または使用人に対し退職手当等として一時に支払われる給与のうち、次に掲げるものでその給与が支払われた後に支払われる退職手当等の計算上その給与の計算の基礎となつた勤務期間をいつさい加味しない条件のもとに支払われるものは、……退職手当等とする。」とされ、「(1)新たに退職給与規程を制定し、または……相当の理由により従来の退職給与規程を改正した場合において、使用人に対し当該制定または改制前の勤続期間にかかる退職手当等として支払われる給与」「(2)使用人から役員になつた者に対しその使用人であつた勤続期間にかかる退職手当等として支払われる給与……」「(4)いわゆる定年に達した後引き続き勤務する使用人に対し、その定年に達する前の勤続期間にかかる退職手当等として支払われる給与」等五つの項目が列挙されている。これらの諸項目を審さに検討すると、まず右の(1)の場合は、その文言からも明らかなように、新たな退職給与規程の制定又は相当な理由によるその改正により、退職金の給付に関して抜本的な変動がなされ、その際従前の勤続期間に対する退職金についての精算支給を相当とするような事態を生じた場合に、かかる精算支給を退職金の打切り支給の形で行う限りこれを退職所得となる退職手当等とみるべきものとしたものであり、また(2)の場合は、使用人と役員とでは勤務関係の性質、内容、処遇等において根本的な性格の相違があるため、使用人が役員となつた段階において使用人当時の勤続期間に対する退職給与を精算支払うことに相当な理由が存するところから、これを打切り支給として行う限り退職手当等とみるべきものとしたものであり、更に(4)の場合は、定年後引き続き勤務する者についても、定年前と定年後とでは勤務関係の性質、内容等に根本的な相違があること右と同様であるから、これについても右と同一に取り扱うべきものとしたものであると考えられ、その他の二項目も、いずれもこれらと同様の理由によりその打切り支給を退職手当等として取り扱うべきものとしたものであると認められる。以上を通覧してみると、右基本通達の立場は、およそなんらかの社会的必要性に基づいて使用人としての身分の継続中にいわゆる退職金の打切り支給をした場合に、それが一般的合理性を有するものと認められる限り広くこれを法にいう退職手当等として取り扱うべきものとしたものではなく、勤務関係の性質や内容に重大な変動が生じたため従前の勤続期間についての退職給与を精算支給するものである点において従前の勤務関係が終止した場合と実質上同視しうる場合、又は退職給与規程の制定又は相当な理由に基づくその改正の結果として従前の勤続期間に対する退職給与の精算支給の必要を生じたような特別の場合に限つてこれを右の退職手当等として取り扱うという趣旨に出たものと解されるのである。そこで右の解釈に照らして本件の場合をみると、本件においては控訴人の従業員につき五年の勤続期間の経過の前後においてその勤務関係の性質、内容に重大な変動を生じた場合にあたらないことは前述したところから明らかであり、また、本件は退職給与規程を改正した場合には該当するが、そのために旧規程の下における勤続期間に対する退職給与の精算支給を行つたというものではなく、改正された給与規程に基づき、その適用として新たに給与を支給したというにすぎないから、右改正が通達にいう相当な理由があるかどうかを問うまでもなく通達の掲げる(1)の場合にもあたらないのである。そして右通達の趣旨が妥当する場合が同通達の列挙する五つの場合に限られないとしても、少なくとも本件の場合が右通達の趣旨とするところに適合する場合であると考えられないことは上来説示に照らして明らかであるから、控訴人の上記主張は、右通達の適用ないしはその趣旨の類推適用を論拠とするものである限り、理由がない。(なお、法人税に関する通達は所得税については適切でないが、右通達の立場も所得税基本通達と趣旨を異にするものではないと考えられる。)

(2) 次に勤続期間を通算しないことを条件としてなされる退職金の打切り支給は、かかる給与方式を採用する社会的必要性と相当性が存する限り、これを法三〇条一項にいう退職手当等として退職所得に含ましめるべきであるとの主張について考えるのに、控訴人が本件給与規程を改正し、勤続期間五年毎の退職金打切り支給の方式を採用した理由は前記のとおりであり、これによつてみれば、控訴人がかかる退職金名義の金員支払方式を採用したことには、それなりの理由が存したことを肯認できないではない。

しかしながら、このことから直ちに右給与を所得税法上退職所得に該当する退職手当等に含ましめるのが相当であるとすることは早計である。中小企業における倒産による退職金不支給の不安の解消や企業側における将来の経理士の過度の負担発生防止の必要等の理由だけなら、これに対する対策としては、退職時における退職金の一時支給の方法に代えて、毎月の賃金の上積み、定期に支給すべき賞与の上積み、あるいは数年毎にその間の勤続に対する特別の賞与の支給という方法によることも可能な筈であるし、更には退職時に支払われるべき退職一時金を一定の計算方法によつて予め勤続期間中に分割前払の趣旨で給付する方法も考えられなくはない。しかし右のような方法をとつた場合には、最後の例を除いては右各給与が通常の給与所得として課税対象とされることは明らかであり、最後の例の場合でも、その給与はもはや所得税法が退職手当等としてとらえた退職金の範疇を脱し、通常の賞与とその実体を異にしないものに転化したものとして給与所得の取扱を受けることを免れないものと考えられる。控訴人の採用した退職金支給方式も実質的にはこれらの場合と同性質のものであり、これにつき五年の勤続期間の満了によつて退職したものとして退職金を支給するという形式をとつたのは、上記のような社会的必要性という理由だけではなく、右の給付金につき退職所得の恩典を受けさせる目的のためであると考えなければ説明がつかないのである。してみると、控訴人の主張する社会的必要性や相当性という理由だけでは、本件金員を所得税法上の退職所得として取り扱われるべき退職手当等に含ましめることを相当とする理由とはなりえないものといわなければならない。

それ故、控訴人の上記主張は結局理由がない。

(四)  控訴人はまた、本件金員を退職手当等として取り扱わなければ、控訴人の従業員は退職金について特別の恩典を受けられな

いこととなり、不当であるという。しかし、控訴人及びその従業員が上記のような給与方式を選択した以上、かかる結果となるのはやむをえないところであり(ただし、最後に取得する退職金については退職所得としての所得税法上の恩典を受ける。)、これにつき所得税法上の退職所得としての恩典を要求するのは、解釈論上の主張としては無理であるというほかはない。もつとも、かくては控訴人の従業員は、所得税法上の恩典は受けられるが支払の不確実性を伴う退職金制度を選ぶか、支払は確実であるが所得税法上の恩典のない本件のような給与方式を選ぶかの二者択一を迫られることになつて不当であるというが、これについては別に控訴人も加入している中小企業退職金共済制度の利用による解決方法も存するのであつて、特段の不都合があるとは考えられないのである。

3  以上説示のとおりであるから、本件金員が所得税法三〇条一項の退職手当等に該当し、又は該当するものとして取り扱うべきであるとする控訴人の主張はすべて理由がなく他方上記認定の事実関係に徴すると、本件金員は五年間の勤続に対する特別の賞与とみるべきが相当であるから、これを給与所得(賞与)として各支給を受けた従業員から給与所得の税率を適用して得られる所得税額を源泉徴収の上納付すべき旨告知した本件処分には、控訴人の前記主張の違法はない。

三  控訴人は、(1)本件金員は、経営危機における退職金支払の確保と経理負担軽減の理由から退職金として支給したものであるところ、被控訴人は合理的理由がなくこれを否認(税法上)したものである点において、また(2)被控訴人が控訴人に対し誤つた行政指導をし、控訴人がこれに従つた処置をしたところ後に次々と見解を変更して本件処分をするにいたつた点において、本件処分は行政権の行使を濫用したもので違法であるから取消を免れないと主張する。

しかし、右(1)の点で控訴人が税法上本件金員の支出を退職金とした点を否認した(もつともこれは税法上の法人の行為・計算の否認ではなく、単に控訴人による所得の性質の認定を否定したものにすぎないが)ことには相当の理由があつたことは前述のとおりである。また、右(2)の点についてみるのに、課税庁が当初本件金員の性質についての認識に欠け、その判断及びこれに基づく指導において控訴人の主張するような混乱があり、その間の措置に必ずしも妥当といい難いものがあつたことはそのとおりであるが、しかしこれらの事情から直ちに被控訴人の本件告知処分を行政権の濫用にあたるものとはなし難く、他にかかる濫用を肯定すべき事実を認めるに足る証拠はない。

よつて、この点の控訴人主張は失当である。

四  以上のとおりであるから、控訴人の本件処分の取消の請求は失当として棄却すべきところ、これと同趣旨の原判決は結局相当で本件控訴は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村治朗 石川義夫 高木積夫)

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